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報恩講にお越しください

 一年は早いもので、今年も報恩講の時期がやってまいりました。
 「報恩講」の「報恩」とは、仏の「恩」に「報」いるということです。しかし、私たちは、自分が親切にされたときには「恩」を感じることができますが、仏の「恩」と言われても、よくわからなくなってしまっています。

仏とは—
 仏とは無数の先人たちです。それぞれの人生の中で、ときに悩み、ときに歓び、ときに悲しみ、様々に葛藤しながら生き抜かれた一人一人です。そして、その中で「生きること」とは何かを学びつづけた証、人間が人間として生きてゆくための智慧の結晶が、「仏の智慧」といえます。それが豊かな「いのちの物語」として語り継がれてきたものが「経」となって私たちに届いています。
 私たちが今悩んでいることは、立場は違えどもいつかどこかで誰かが同じように悩んでおられたのです。悩んでいるのはあなた一人ではない。あなたのために私の一生を通して智慧を伝えますと、先人たちは自分の一生をかけていのちの物語を残されました。しかし私たちはそんな声に耳を貸さず、一人悩んでいます。

そのとき親鸞聖人は—
 親鸞聖人もその一人でした。人生の孤独、不安、絶望から、この世に生まれたことを歓べなくなり、一人悩んでおられたのです。しかし、法然上人に出遇い、仏の智慧であるお念仏の教えに出遇われました。「私たちも同じことで悩んでいたのですよ」という声が聞こえるところに、「あなたもそうでしたか」といって、安心して苦悩できる世界が開かれるのではないでしょうか。聖人は閉じこもっていた自分の殻が破られて、広い世界を見る眼が開かれたのです。
 聖人は、何か今の自分とは違う、特別な「よい自分」にしてもらったのでもなく、絶対者に頼ったのでもありません。もともとあった自分自身の姿、見失っていた自分に気づかされたのです。自分の欲望を満たすためではなく、もっとほんとうのことを知りたい、そのために生きつづけたいと思う心がおこるとき、どんな自分にも意味があることを知らされ、どんな苦悩の中であっても生きる勇気を与えられたのです。ほんとうの希望は「自分の欲望が求める自分」にあるのではなく、自分を知らしめる仏の智慧を聞き続けたいと思う心にあったのです。ですから聖人は仏の恩に報いる生き方、念仏を聞き続ける生き方をせずにはおられなかったのでしょう。 

そして私たちは—
 今度は私たちが、聖人が残された「いのちの物語」に、自分自身の抱えている問題、自分の生き方をたづねる番です。それなしに仏の「恩」に報いると言ってもよくわからない、ということになるでしょう。「仏教」というと何か難しいように思われるかも知れませんが、問いかけると答えてくれるものです。「報恩講」が、そんな仏の豊かないのちの物語に触れる機会になったらと願っております。
 初めての方や、お一人でも、またご友人、ご家族とご一緒でも、どなたでもお越しください。途中からでも、途中まででも、出入りは自由ですし、服装は気軽なもので結構です。それでは当日お待ちしております。 

日程
日時 2015年11月8日(日)午後2時より
場所 受念寺本堂   →受念寺への行き方
  
式次第  
一、勤行(おつとめ)
 正信偈 真四句目下
 念仏讃 淘五
 和讃「弥陀大悲の誓願を」
 回向 願以此功徳
 御文 

一、法話(おはなし)
「ただこの信を崇めよ —〈鬼は外・福は内〉の信仰を超えん」
 浄専寺住職 平野喜之(ひらのよしゆき)師

法話(おはなし)
「ただこの信を崇めよ —〈鬼は外・福は内〉の信仰を超えん」
平野喜之師 ご略歴

石川県かほく市 浄専寺住職
昭和39年、京都市生まれ。
金沢大学理学部数学科博士課程修了後、大谷大学仏教学科博士課程満期退学。
現在、京都の学仏道場「相応学舎*」留守居役。金沢大学非常勤講師(数学)。大谷派修練スタッフ。「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会事務局。

*相応学舎 … 安田理深(1900~1982)により、50年にわたって続けられた私塾。現在も仏教を学び自己を学ぶ場として、人々が集まる。

御絵伝
報恩講では『御絵伝』が掛けられます。『御絵伝』とは親鸞聖人の生涯を絵で表した掛け軸です。もとは『本願寺聖人伝絵』という文章と絵で構成された絵巻物の、絵の部分を別にしたものです。文章の部分は『御伝鈔』と呼ばれ長く報恩講で拝読され、『御絵伝』と合わせて、先人たちは親鸞聖人の生涯に思いを馳せてきました。
 当日は当寺でも『御絵伝』が掛けられます。先人たちと同じ心で親鸞聖人のご生涯をたどってみませんか。
*蓮如上人御絵伝も当日ご拝観いただきます。 

曽我量深・書「唯崇斯信」
当日本堂にてご拝観いただきます。洛南高校宗教科の元講師であられる虎頭祐正氏より譲り受けたものです。生きたお念仏の教えを伝えられた曽我量深先生と出遇われた氏が、直接先生に書いていただいたものです。ご縁があって当寺でお預かりすることとなりました。信心相続の標として、ご方便尽くされますようにとの氏のお言葉を重く受け止め、お引き受けさせていただきました。
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*曽我量深(1875年(明治8年)〜1971年(昭和46年))