正信偈「正信偈(しょうしんげ)」は、浄土真宗で多くの人にお勤めされている偈文で、親鸞聖人の著書である『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』におさめられています。聖人が念仏の教えを受け止められ、いのちへの敬いと感動の心を、詩の形で表されたものです。
 詳しくは「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といいます。念仏の教えを正しく信じるとはどういうことか、ということついての偈文です。(右図:『教行信証』行巻におさめられている「正信偈」の親鸞聖人直筆)

信じるとは。
 「信じる」というのは、何も特殊なことではありません。私たちは生きていく上で、人生の意味を何かに求め、「これに意味がある」という答えをはっきりと、あるいはおぼろげながらも持ちながら、それが大事なことであると信じるからこそ生きられます。例えば仕事。家族。名誉。趣味。求める自己の実現・・・。これらに何らかの意味があると信じるから、人は生きられます。実は「信じる」ということは生きることの基本となっています。ですから、逆に、今まで「意味がある」と信じてきた人生の意味が崩れ、疑いの中に放り出されたとき、人間は途端に生きられなくなるのです。

親鸞聖人の歩み 
 親鸞聖人はその生涯において、信じられる人生の意味を求めて疑いの中で悩み続けられました。ほんとうに確かに生きられる人生とはどのような人生か。どんな状況でも崩れることのない生きる意味はあるのか。生まれたことを喜べなくなった自分が、再び生きる意味を取り戻し、生まれたことを喜べるようになる道はあるのか。

念仏との出遇い 
 そのような中で親鸞聖人は法然上人に出遇い、お念仏の教えに出遇われました。それは、疑いの中でもがき、その中を生き抜いてきた人々の「いのちの物語」に親鸞聖人が出遇われたことでもありました。その出遇いは、その後の越後への流罪とその地の人々との生活、そして関東の人々との生活など生涯を通して、何度も確かめられてゆきました。そして、ほんとうのいのちの姿のありのままに見ず、自分中心の見方で自らいのちの価値を決めつけ、悩み苦しみ、人が互いに傷つけ合うような原因を自らつくり出すような、そんな自分のありさまが照らされていきました。偽りの自分の殻を破り、ほんとうのいのちを照らしだす念仏の智慧に何度も出遇いつづけることを通して、崩れることのない信ずべきいのちの価値に気づかれ、いただいたいのちをそのままに喜べる歩みを生涯続けられたと言えます。

再び「正信偈」とは。 
 そういう意味で「正信偈」というのは、ほんとうの自分、ほんとうのいのちに出遇った喜び、この世に生まれた喜びを表現した詩である、ということができるのではないかと思うのです。

正信偈の構成
 大きく「総讃(そうさん)」「依経段(えきょうだん)」「依釈段(えしゃくだん)」の三つに分けられます。
 ①「総讃」とは「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光(なむふかしぎこう)」の二句です。無量寿如来、不可思議光というのはどちらも阿弥陀仏のことです。帰命、南無というのはどちらも敬い礼拝することです。ほんとうの自分に出遇わせていただいた、「いのちの物語」と「いのちの智慧」の現れである阿弥陀仏を生きる依り所とするという心の表明です。
 ②「依経段」とは「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさいんにじ)」から「難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)」までです。ここでは『仏説無量寿経』に説かれる、「いのちの物語」とも言うべき阿弥陀仏の本願の物語と、お釈迦様が説かれたお念仏の教えがうたわれています。
 ③「依釈段」は残りの部分です。インド、中国、日本とお釈迦さまとの説かれたお念仏の教えが自分にまで伝わってきた歴史に対して頭が下がる思いから、七人の仏教の師(七高僧)を一人ずつ取り上げうたわれています。

正信偈の拝読のしかた
 約500年前、本願寺第八世蓮如上人の頃からこの正信偈に節をつけて、毎日の朝夕に勤行するようになりました。その節(声明(しょうみょう))は、現在大谷派では九種類ほどあります。日頃なじまれている方には、普段のおつとめが耳になじんでいると思いますが、それは「草四句目下(そうしくめさげ)」という読み方です。また報恩講で「正信偈」をお聞きになると「普段と違う」と思われる方もあるかと思います。それは、報恩講では「真四句目下(しんしくめさげ)」という、より厳かな読み方で拝読することになっているからです。