報恩講(ほうおんこう)のご案内
私たちは「自己のものさし」を頼りとして、「こうありたい」「こうなるべきだ」という、のぞみのとおりになることが幸せであると思っています。しかし、その「自己のものさし」によって、私たちはいのちの価値を自ら決めつけ、その価値に縛られ一喜一憂し、ときに争い、ときに人生の意味を見失い、いただいた大切ないのちを空しくすごしてしまいます。
宗祖親鸞聖人は、どこまでも自己が自己中心の見方を離れられず、自ら行き詰まり、また互いに傷つけ合うような、「いのちの願い」に背く自己のあり方を悲しみ、悩み抜かれました。そして、自己中心の自己がいのちを問う限り、「いのちの願い」は聞こえない。いのちから自己が問われるとき、初めて「いのちの願い」に触れ、ほんとうの自己があきらかになる。迷いの身のままにいのちあることを喜び、また互いにいのちを喜び合える、人生のほんとう依り所は、自己のものさし(自力)ではなく、「いのちの願い」(本願他力)がはたらく阿弥陀如来の浄土であることを、お念仏の教えを通してあきらかにしてくださいました。
孤独や不安、絶望から、一度はこの世に生まれた意味を見失った人たちが、親鸞聖人があきらかにされたお念仏の教えに出遇い、再び生まれた意味を回復し、生きる喜びを見出されてきました。その人たちが、聖人の御苦労と御恩に報いずにはおられないという気持ちから、皆で寄り合い、共に聞法する場として始まったのが「報恩講」です。そして一年で最も大切な御仏事として、全国各地で今日まで脈々と勤められてきています。
初めての方や、お一人でも、またご友人、ご家族とご一緒でも、どなたでもご気軽にお越しください。それでは当日お待ちしております。
このよき日がいのちの願いに報いる歩みの一歩となりますように。
日程
日時 2014年11月8日(土)午後2時より
場所 受念寺本堂
式次第
一、勤行(おつとめ)
正信偈 真四句目下
念仏讃 淘五
和讃「弥陀大悲の誓願を」
回向 願以此功徳
御文
一、法話(おはなし)
「往生について—私の歩み—」
→報恩講パンフレット2014.pdf
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