<目次> 創建から現在まで508年の歴史 -----------------------------------------------------------
1.創建・吹田時代 1506年(永正3年)〜1593年(文禄2年)の88年間【戦国・安土桃山】
   世は戦国の時代/真宗と大坂/受念寺創建 
2.池田町時代 1593年(文禄2年)〜1615年(元和元年)の23年間【安土桃山・江戸初期】
    石山合戦と天満移転/東西本願寺分派について
6.住吉時代 1931年(昭和6年)〜現在 の84年間【昭和初期〜平成】
   住吉移転/大正新脩大蔵経/サトリ幼稚園/太平洋戦争/学生寮
   /有料老人ホーム・軽費老人ホーム受念館/平成の本堂改築
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2.池田町時代 1593年(文禄2年)〜1615年(元和元年)の23年間【安土桃山・江戸初期】
第4世 圓正(〜1603年(慶長8年)10月1日寂)
第5世 圓誓(〜1631(寛永8年)7月12日寂)

石山合戦と天満移転EPSON069

 信長が台頭する時代です。1570年(元亀元年)〜1580年(天正8年)には石山合戦があり、その後の東西本願寺分派に繫がりました。当寺の記録には1593年(文禄2年)東西本願寺に分派し、第3世圓西(〜1571)*は東派に帰したため**に、吹田から大坂天満の池田町(現在の大阪市北区天神橋4丁目辺り)に道場を移したとされています。

東西本願寺分派について
 しかし、正確には1593年にはまだ東本願寺は成立していません。1592年(天正20年)に顕如上人没後、11月教如上人が継職しました。しかし石山合戦以来の教団内の対立、そこに顕如上人譲状の偽文書や豊臣政権内の対立などが影響し、1593年(文禄2年)閏9月、一旦は教如上人の継職を認めていた豊臣秀吉が、ここにきて教如上人に退隠を命じ、顕如上人の子・准如上人が継職しました。しかしその後も教如上人は独自の活動をつづけ、1602年(慶長7年)、徳川家康が教如上人に寺地を寄進、1604年(慶長9年)両堂が建立されました。これをもって現在の東本願寺の成立とされています。したがって、1593年の教如上人退隠が当寺移転のきっかけとなったと考えられます。しかし当時の住職がどのように石山合戦に関わったのか、教如上人との繫がり、なぜ教如上人側についたのかなど詳しい理由はわかっていません。

(註)
*圓西は1571年10月28日寂と記録されています。石山合戦は1570年に始まり、顕如上人が大坂を退去したのは1581年3月です。顕如上人の大坂退去後も教如上人は残り、これは東西本願寺分派の遠因となりますが、それでも1581年3月であり、圓西の亡くなった1571年の時点では東西分派の気配はまだありません。したがって、第4世圓正(〜1603年)の誤りではないかと考えられます。
**調べたところによると、実際吹田市の濱ノ堂があったあたりは、現在でも本願寺派(西本願寺)の寺院が多いようです。

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