仏教には、無数の先人たちが一人一人それぞれの人生の中で悩み、葛藤しながらも生きぬいた姿、歴史がつまっています。たとえどんな苦しみであっても、その中で「生きること」とは何かを学びつづけた証です。人間が人間として生きてゆくための智慧の結晶ともいえます。

それが豊かな物語世界として語られたり、深い思索の体系となったりしたものが「経」や「論」、「釈」として今に残っています。

私たちが今悩んでいることは、立場は違えどもいつかどこかで誰かが同じように悩んでいた。悩んでいるのは自分一人ではない。「あなたもそうだったか」「やっとわかってくれる人に出会えた」そうやって安心できるところに、安心して苦悩できる広い世界が開かれるのではないかと思います。先人たちの声を聞かずに一人悩んでいたら、「私たちも同じことで悩んでいたのですよ」と声をかけてくるものが仏教だと思います。

そういう意味で、仏教は私たちの先生となって時には叱咤しながら苦悩の中を導き、私たちの友となって苦悩する者同士刺激しあい、私たちの親となって苦悩する私たちに優しく寄り添うようなものではないかと思います。

ですから仏教は、何か今の私とは違う特別な私を求めるのでもなく、絶対者に頼るのでもありません。もともとあった私自身の姿に気づかせ、どんな私にも意味を見出し、どんな苦悩の中であっても生きる勇気を与えるものだと思います。